本年は個別の事例の精度を高める作業とともに、これらの研究成果を位置づける理論的枠組みを洗練するために、最近のロンドン史研究および隣接領域の研究に関するサーヴェイに重点をおいた研究を行った。 近年のロンドン史研究は都市自治体そのものだけでなく、それを構成する地域単位にも注目する。ロンドンの地域社会は地元の有力者が社会的権力を行使する場ではなかった。本研究の実証的事例が明らかにしたことは、ロンドンを構成する区・街区・教区などの地域社会は、救貧・福祉、治安、防火、交通、公衆衛生など日常生活の基本要件の維持に関し、役職制度を通じての住民の参加によって成り立っていたことである。それらの役職は無報酬であり、役職者は年々の住民の集会での選挙を通じて選ばれた。レイトと一括して呼ばれる税が年々徴収され地域社会の運営にあてられるようになると、その徴収と管理が役職者の任務として重要になる。 近年の地方史研究は、こうした役職分担を通じての住民参加による地域社会の運営は、近世イングランドの農村教区にも広く見られたことに注目する。国家は徴税や治安維持のためにこれら役職者に依拠し、彼らも役職遂行を通じて国家への一体感を強めていった。それは近世の国家形成のプロセスの一面でもあった。その点でロンドンはかならずしも特殊な事例とはいえない。 だが、本研究が立証したのは、ロンドンが並はずれて移動性の高い都市だったこと、にもかかわらず、役職制度は維持され、機能し続けたことである。もう一つ特殊な事情は、地域社会が国政を左右することもある指導者を直接・間接に選出する場であったことである。これに参加できる資格は、フリーメンからレイト支払い者に移っていった。それは「グラスルーツの公共圏」の形成と呼びうるものであった。そこからは市民権の変容、地方自治の新しい伝統、さらには新大陸での社会形成といった問題への展望も開けてくる。
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