最終年にあたる今年度は、次の4つの側面から市民権のポストナショナルな変容に迫っていった。 第1に、外国人嫌いに対する政策的対処である。英国では外国人嫌いはイスラモフォビアという形式をとっていた。ところが人種関係法を中心とした英国の差別禁止制度はイスラモフォビアは十分機能しない。なぜならば、宗教を根拠とした差別は射程外になっているからである。この状況は、ポストナショナルな変容がまだ未発達であることを示している。 第2に、領土との比較という観点から考察を行った。日本近海の領土問題は、東アジアの政治的枠組みがいまだナショナルであることを示している。しかし、人に関する市民権は徐々にポストナショナルな柔軟性を示すようになっている。地位と権利の側面はリベラル化が進んでいる一方、アイデンティティはナショナルな要素を脱することができない。すなわち領土問題は、市民権のこのアイデンティティの側面が噴出したものなのである。 第3に、このような東アジアの市民権的状況をヨーロッパと比較分析した。ヨーロッパは移民の市民権に関して「快適地帯」でありリベラル化が進んでいる。一方、東アジアは反リベラル化といえる状況である。しかし、東アジアの内部を見ると、台湾、日本、韓国の順にリベラル化が進んでいた。この東アジア内部のリベラル化の進展に関するメカニズムは東アジアにおいてもポストナショナルな変容を市民権にもたらす可能性がある。 最後に、市民権は移民の社会統合のツールとして期待されている一方、その有効性が疑問視もされ始めている。これは市民権がポストナショナルな形式を持ちつつ社会統合を達成しようとしているからである。この市民権の二律背反的評価は社会統合の曖昧化がもたらしている。そこで、差別、不平等、排除、コンフリクトを最小化することを社会統合と捉えて、市民権との関連を理論化しなければならないことを示した。
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