1 目的と調査の実施:本研究は太平洋戦争後の樺太からの引揚者のライフヒストリーを追うものであり、引き揚げ後の落ち着き先を岩手県内に求めた人びとの戦後史の社会学的研究である。本研究では、現在岩手県に在住する15人の聴き取り調査を行った。 2 調査結果:【落ち着き先】【都市型と入植型】:調査地点は、岩手県盛岡市内と岩手町豊岡の2地点である。盛岡市に居住する引揚者のほかに、岩手町住民へと調査範囲を広げた。引き揚げて岩手県内に定着するパターンとして、両者は異なるタイプを形成している。このうち入植型は、いったんは盛岡市青山の引揚者住宅に身を置くものの、集団を形成して入植地を探し、原野を切り開いたのである。 3 引き揚げの過程での困難:引き揚げ過程での労苦は、厳しいものである。その厳しさの原因は、ソ連兵の侵軍だけではない。日本軍や憲兵によるものや、出入国の手続きや扱いによるものもうかがえた。敗戦後は、女性が恐怖を感じ男装したり、山間地に疎開したりした。また子どもは、出航前の収容所の便所が恐怖で、トイレから落ちて命を失うという恐怖を経験した。 4 引き揚げ後の生活:(1)岩手県は、無縁故の引揚げ者が多いと注目されるが、引揚げ者の中には、有縁故として引揚げたファミリーもみられた。この人たちは、家族親戚の縁故を頼ったが、住宅に困窮しているという点で共通している。有縁故であるがゆえに、住居の手当てを受けられなかった。盛岡市の岩鷲寮には入れなかった。(2)帰国後の引揚げ者の生活の困窮は長く続いた。戦争による教育機会が閉ざされたために、引揚げ者は、しばしば、底辺の労働者の地位に置かれたのではないか。確かに、引揚げ者の中には、成功した人の例もみられるが、相対的には、貧困の階層に固定されることのほうが多かったのではないかと想像される。 5 今後はさらに分析を進め、研究を継続し、知見を発表していきたい。
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