シンガポールは、1965年の独立から50年に満たない上、植民地時代以来「多人種主義」の下、華人・マレー人・インド人・その他という四つの人種に分割されているという、国民文化の生成が困難な条件をそろえている。こうした中、国民文化は生成し得るのか。本研究では、敢えて「国民」文化とした上で、その生成をめぐる国家と国民の間の様々なせめぎ合いの諸過程を、総団地化社会の成立と団地文化の生成、ホーカー(屋台)センターという独自の飲食空間の生成と取り壊し、国民的モニュメントの生成と取り壊し、シンガポール独自の言語、シンガポール華人と中国人の関係という五点を取り上げ、現地調査に基づいて明らかにすることを試みた。
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