本研究は、ドイツの社会学者U.ベックが1990年代半ばに提唱した「市民労働」という政策理念のその後を探ることを目的としていた。ベックにおいて、市民労働は、人々の自発的社会参加を促す仕組みを作り、市民労働への参加により参加者にアイデンティティや社会的承認や物質保障の獲得を可能にするものとして構想されていた。研究計画を立案した当時は、この市民労働が実際にどの程度、市民労働への参加者にアイデンティティや社会的承認を附与するものとして機能しているかを、聞き取り調査により調べることを、目的としていた。 平成23年度より3年間で、合計6回、それぞれ10~14日間ミュンヘン市に赴き、聞き取り調査と資料収集を行った(日本にいる間は、先行研究の検討と調査データの分析にあてた)。平成25年度は過去2年間の補足調査を行った。 調査の結果、以下のことが判明した。ベックの市民労働の政策理念は、その構成要素の一部が採り入れられて連邦政府のワークフェア政策の試験プロジェクト(市民労働プロジェクト)になり、別の構成要素の一部が市民参加という一種のボランティア活動に採り入れられていた。ベックの市民労働の政策理念は、ベーシックインカムの一種であったが、連邦プロジェクトでは強制的なワークフェア政策となり、その基本理念は消失し、参加により社会的アイデンティティが獲得できるものにはなっていなかった。他方、市民参加においては、自発的参加を促す仕組みが整えられ、活動により獲得された能力を社会的に承認する仕組みが作られており、その点でベックの市民労働の理念がより生かされたものになっていたが、参加によりアイデンティティや物質保障が得られるようなものではなかった。市民労働の政策理念は、政策的実践に移される過程でその性質が変容していた。
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