25年度は、仙台、金沢、大坂、京都における江戸時代の精神障害者処遇に関する調査を行った。以下3点にまとめて報告する。 第1に、各都市の精神障害者処遇に関する直接的な規則等はなかなか見出しにくく、刑罰史料(仕置例など)の中から推測する作業となることが多いが、仙台については、当時の牢役人が牢内の書類を書写し整理した史料が残っていたため、牢内での処遇を直接的に知ることができた。仙台藩では、親族が自宅に囲をつくり入れ置くことが基本的処遇であったが、囲をつくることや囲に入れて世話をすることが困難な者は、囲ができるまでの間、牢に入れ置く「牢拝借」という処遇があったのである。この史料により当時の精神障害者の様子、「精神障害」の理解のありよう、牢役人の対応、身分制度が及ぼす影響等々の分析が可能となった。 第2は、各都市の処遇に、牢を使用したことを明らかにしたことである。都市の成立は、精神障害者をある一定期間、一定の空間に閉じ込める処遇が必要という状況になるのであり、そのための場所として、どの都市にもあった牢を使用したのである。精神障害者に必要な施設はつくられず牢が活用されたことは、人々の精神障害への認識を、犯罪と不可分のものとしたと考えられる。そして明治期以降も引き続き精神障害者を収容するために、牢(監獄と名称変更)が使われたことも明らかにした。 第3に、家督相続者が精神障害になった場合の相続は、相続人を囲入れた後、長男等に家督を譲る手続を行うこと、つまり処遇と相続手続が一体のものとして実施されたことがわかった。当時後見制度はあったが、相続人が幼年者の場合にのみ適用され、精神障害をもった場合は想定されていなかった。武士階級のこの相続の方法が、家督をもつ町人階級でも実施されるようになった。この研究から、後見制度の成立史に若干でも寄与できる可能性があると考えている。
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