第2次世界大戦の終戦後、アメリカのボランタリー組織LARAは日本へ大量の救援物資を送った。日本政府はそれを喜んで受け入れた。貴重な物資は困窮者に優先順位をつけて配分された。初めに対象になったのは子どもの施設や結核の病院、養老院である。 救援物資を送る際、LARAは戦争被害によって4つのランクに分けた。最も被害が大きかったAランクの地域を中心にLARA及びララ救援物資に関わる資料の収集を進めたが、多くの施設が当時の文書を保管していない事実があらためて明らかになった。だが廃棄していない施設もあり、いくつか証言を得ることもできた。一連の研究過程からララを社会福祉史に位置付ける意義が明らかとなった。
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