当初計画での補助期間は昨年度で終了であり,今年度は未執行である研究を補完的におこなった。 1.コーパスの継続的作成:心理療法における発話事例に関して,引き続きコーパスの作成をおこなった。特に今年は,精神分析的オリエンテーションでの発話事例の分析に中心をおいた。その結果,発話の単なる内容ではなく,発話の相互行為をおこなう際の,クライエント側の意図(先行的な文脈化)も,きわめて重要な役割を果たしていることが示唆された。 2.日本の心理療法の文化的背景:引き続き,日本の心理療法における文化的コンテクストに関する研究をおこなった。これは,発話のやりとりが生起し位置づけられる場に関するものである。能のテクストや振る舞いの研究を通して考察する手法を継続した。能を舞うとき,対話のやりとりがあるわけではないが,重要なインタラクションが生じる場面で,演じ手がどのような体験をしているのか,どのような技の伝承がなされてきたかをインタビューをおこなった。その結果,内的に相反する葛藤を表出はしないが抱えつづけていくことが,相手の側の内的動きを誘発していくことが明らかとなり,このことは,心理療法における発話の組み立てに重要な示唆を与えた。 3.臨床事例を通した発話の検討:昨年度実現できなかった重点課題である。経験年数5年以上の臨床心理士10名の参加を得て,本研究の成果を提示しつつ,臨床事例を発話の観点から検討することをおこなった。対象としたのは2つの臨床事例であり,1)セラピストの発話とその発話意図,2) クライエントの発話や観察される行為,3) 上記2)から推測される内的な力動の変化について調べることになった。この図式ばかりでなく実際の臨床事例で重要なのは,両者のあいだに生起する文脈であり,また,セラピストが意識せずともクライエントから演じさせられている発話や行為であり,その観点からの検討もなされた。
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