本年度は、水俣での公害教育実践を形づくった地域社会の構造、運動の経緯などを通史的に理解する作業を引き続き行った。公害教育は、その実践のみに着目しても理解は難しい。教育実践に立ち現われた社会的な意味を解き明かす作業は欠かせない。とりわけ、公害問題を通史的に理解する際には地域の分断や地方政治との応答、地域内の運動の動向などのダイナミクスをとらえる必要がある。このため、地元自治体が発行している自治体史や運動団体が発行しているミニコミ誌、その他地元で発刊された資料などを主に検討した。水俣病には、関連する20以上の裁判があり、患者発生から50年以上がたつとされる。半世紀に及ぶ歴史を詳細に把握すること自体容易ではないが、全体像を捉えつつ、掘り下げている段階にある。 また、水俣、四日市、富山イタイイタイ病、新潟水俣病という4大公害裁判地においては、連携して公害経験を伝える動きが始まっている。この4つのうち、四日市にのみ資料館はなかったが、被害者側の勝訴判決40年をすぎてようやく四日市市によって設置されつつある。4つの公害資料館がそろいつつある中で、昨年度は初めて4地域の被害者や支援団体が富山イタイイタイ病資料館に集合し、シンポジウムを開催した。水俣からは、川本輝夫氏のご長男が参加された。川本輝夫氏は、自身も水俣病患者であり、何の医療や生活保障もないまま放置されていた未認定患者を掘り起こし、生涯をかけて患者救済に奔走し戦ってきた人物である。「父を誇りに思う」とのご長男の言葉を富山イタイイタイ病発生地において、富山の患者家族とともに聞けることは、公害教育史の歴史的な転換点を迎えたことを意味する。これらの関係者たちの多くは福島の状況に想いを馳せ、公害経験を伝えたいとの意思もある。公害教育の歴史をさらに掘り下げつつ、福島第一原発事故後の公害・環境教育につなげることが、次の大きな課題と考える。
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