本研究は、戦後における高等教育機関の都道府県格差の淵源をその大増設期だった1940年代とみなし、その時期に高等教育機関が府県ごとに設置されたりされなかったりしたことに注目して、その原因を解明しようとしたものである。公立高等教育機関を設置した地域では「官立医学専門学校誘致ブーム」に反応して過熱した地方議会の要望を地方当局が公立へと落とし込んでいったこと、政府・文部省側には設置認可の弛緩という状況が生じていたこと、反対に高等教育機関が設置されなかった地域では、財政問題はもとより、複数の高等教育機関像が競合し、地方議会レベルおよび地方当局レベルで調整されない状況がネックとなったことなどを解明した。
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