研究課題/領域番号 |
23531002
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研究機関 | 愛知教育大学 |
研究代表者 |
高橋 裕子 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (30206859)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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キーワード | 学校衛生 |
研究概要 |
(1)学校衛生制度以前における学校衛生史(活動と思想)の素描1)中津川知識人の学校衛生観 (1)「中津川興風学校の学校衛生-近代学校における明治初期の衛生/教育」(総合社会科学会、法政大)現在、学校の感染症予防の基本は、校長の「出席停止」と学校設置者の「臨時休業」の2措置である(学校保健安全法)。近代学校設立当初、このことはどうであったのかを明治12年の全国的なコレラ流行時に、実際、興風学校が行った措置と意義を、他府県での措置(史料「明治十九年虎列刺病流行紀事」」から検討した。 (2)「地域の学校衛生史に関する検討(2)―地方の私立衛生会における学校衛生」(日本学校保健学会、名古屋大学)興風学校よりひとつ上のレベルの岐阜県に目をうつし、1どのような地方私立衛生会が組織されていたか、2県の初期の学校衛生の考え、3地方私立衛生会での学校衛生に関する議論を明らかにした。 (3)「中津川興風学校の学校衛生活動年表」『愛知教育大学保健体育講座研究紀要』35号2012.3.2)小林廉作らの学問基盤、3)中津川知識人の校構想 (4)「中津川興風学校の学校構想」(『愛知教育大学研究報告人文社会科学編』61輯2011.3)興風学校は、近代学校教育制度に先駆けて義校方式よって創始された。学制発布前、村の有志者の協議で創立した「時習館」が起源である。ただ設立計画から認可に至る具体的な過程は不明である。そこで残存する5つの開業願書を史料に、興風学校と国・岐阜県の(学制)のやりとりのなかで教員の学歴、学科構成、予算がどう修正されたかをみたところ、私的な学校構想から政府や県による公的な小学校へとシフトいていく有様と実情がわかった。学科教則と教員資質の合致が政府の学制実現の最重点項目であり、学校側にとっては譲歩されつつも遵守が求められ苦心していた。この点、興風学校では藩校出身の小林廉作の存在が設立認可の要となっていた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
上記の【研究実績の概要】に示したように、23年度に行う研究の課題は「(1)学校衛生制度以前における学校衛生史(活動と思想)の素描」であった。これを明らかにするために、研究計画ではさらに、1)中津川知識人の学校衛生観」「2)小林廉作らの学問基盤」 および、 「3)中津川知識人の学校構想」の3つのテーマを定めた。現在までの研究によって、3つの課題ともに、具体的な成果を得たので、4件の学会発表や論文報告することができた。それぞれ、研究の構想、資料の特定、収集と分析ともに、概ね目標とした段階に達成していると考えらえる。 それに加えて、当初「平成24年度以降の計画」であった下記の課題についても着手し、その一部を、学会で発表することができた((5))。(2)中津川における学校衛生制度の移入(5)「地域の学校衛生史に関する検討(3)-日本の学校医制度の成立期の問題-」(第9回日本教育保健学会 東北福祉大学 2012.3.24-25) 概要:「学校日誌」から興風学校の初代学校医・林淳一の活動を抽出し、当初の学校医の職務を越えて、トラホームの「治療行為」に及んでいた実態や、その意味について報告した。
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今後の研究の推進方策 |
平成24年度以降の計画(2)中津川における学校衛生制度の移入-日本の学校医制度の成立期の問題-1)トラホームの治療行為にみる学校医制度の運用:学校医制度で規定された職務では、学校医は治療を行わないことになっている。たとえば、伝染病流行時は、学校の休業措置を申告し、学校内の消毒を指導する、あくまで公衆衛生学の専門家の役割を担う。この治療行為に注目し、明治30年台のトラホーム流行時、興風学校の初代学校医の林淳一がどう対応したのかのかをみることによって、現実の流行病の中で、学校医制度がどのように運用されていたかを明らかにする。ところで、初代学校医・林は、興風学校の設立の中心人物で後に町長ともなった市岡政香とも交流をもっており、中津川の政事にも明るかったと考えられる。政香の個人日記「竹烟雑記」「丁々園雑記」(市岡家文書 中津川中山道歴史資料館寄託)を史料としながら、林淳一の社会的位置づけや思想背景も考察していく。2)他府県におけるトラホーム治療をめぐる学校医の役割:明治15年ころから、全国各地に地方私立衛生会(大日本私立衛生会の支会、他)が発足していた。会員の中心は、地域の医師である。会員らは学校医を兼務したり学校衛生に関する認識もある程度もっていたと考えられる。こうした全国各地の地方私立衛生会の機関紙を資料として、全国の各地では、学校医制度がどのようにとりいれられていったのか、特に1)で検討したような、トラホームの治療行為の点から掘り下げる。3)学校医制度の根幹と学校衛生の目的:通史では、三島通良の調査にもとづいた学校衛生顧問会議での草案が原点であるとしている。まず、三島の学校医論を検討し、三島が校医の役割の根幹を何においていたのか、また、そこに現れた三島の学校衛生の目的論を明らかにする。
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次年度の研究費の使用計画 |
主に、上記の「今後の研究の推進方策」の2)に示した検討の資料・地方私立衛生会の機関紙を収集するための旅費と複写費に使用する。同資料の所蔵先は、次の2点であると思われる。(1)東京大学法制資料センター(明治雑誌文庫)(2)全国の都道府県や市の図書館や資料館(郷土資料として)(1)については、23年度中に、既に総ての所蔵分を複写し、収集し終えた。24年度は、(2)について、蔵書調査と収集を丹念に行う。この他は、当初の計画に示したように、関連図書の購入、学会発表のための旅費、消耗品などである。金額も計画の範囲内で大きな問題はないと考えている。
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