本研究の目的は、岐阜県中津川興風学校を事例とし、明治維新後、この地域のいわゆる知識人(元本陣、豪商ら)の手で進められた近代の学校づくりの文脈で学校衛生史をとらえ、実証的に明らかにすることである。具体的には2つの研究テーマからなる。第一に、学校衛生が制度化される明治30年代以前、同校で独自に実施されていた学校衛生に関する活動や思想を明らかにすることである。第二に、明治30年代以降、同校では明治政府によって制定された学校衛生制度を、どのように移入・運用していたかについて、学校医制度に焦点をあてて明らかにすることである。 1.最終年度に実施した研究の成果 昨年度に引き続き、先に示した第二のテーマに取り組んだ。具体的には、明治30年代に制定された学校衛生の諸制度の成立に直接関与した三島通良(慶応2~大正14年、文部省学校衛生主事)の学校医論を、一つ前の世代で、学校衛生制度の前史と位置付けることができる三宅秀(嘉永1~昭和13年、学校衛生顧問会議議長など)の学校医論と比較検討し、明治政府による学校医制度を支えていた思想を明らかにすることによって、この制度の性格を明確化した。この検討の内容は、雑誌論文(1件、掲載予定)と学会(2件)において発表した。 2,研究機関全体を通じて実施した研究の成果 3年間の研究成果を総括して、冒頭の、本研究の目的に示したような、近代学校づくりの文脈での新しい学校衛生史を構想することができた。この構想は、3部6章からなる「明治期地域学校衛生史研究」として執筆した(全320頁、報告書として印刷)。今後、学術書として出版し、社会発信することを予定している。 また、本研究の成果を踏まえて、次の段階の研究に着手した。すなわち、大正期・昭和初期に視野を進め、大正自由主義教育や国民国家形成論などをキー概念とし、日本における教育学説史の文脈で学校衛生史をとらえ直す研究である。
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