1950年代半ば以降、全国的な市町村合併とともに中学校の統廃合があり、栃木県南の現小山市では2校が統廃合により廃校となった。そのうちの1校を前年度に調査研究したのに続いて、もう1校の調査研究を進めた。その中学校の校区住民は統合に激しく反対し、同盟休校まで行われ、その模様が新聞にも掲載された。結果的には生徒の通学路にある橋梁の改修などを条件に廃校を認めるようになるのだが、それは望んでのことではなかった。廃校となった2校は、いずれも河川に囲まれた穀倉地帯にあった。その地域は近世以来戦前時点までは一定の豊かさを有してきており、中学校を地域住民の力で設置しており、中学校の統廃合、その結果としての廃校は地域住民が望んだものではなかった。しかし、工業化を押し進めた高度成長期に純農村部の学校は生徒数減が続き、小さな「貧弱」な教育機関であるとされるなかで、大きな学校が良いという意向に抗しきれなかった、というのが真相であったとみられる。 一方、高度成長期に工業化を進めた旧小山町は人口増を反映して小中学校が増設された。そうしたとき小山高等学校定時制課程が、旧栃木県北部をはじめとしながらも全国から生徒を集めており、全日制よりも生徒数が多い時期さえあった。聞き書き調査をはじめ、文集等も一部入手できたが、本格的な研究には至らず、今後の課題となった。小山高等学校の定時制課程にかかわる調査の過程で、足利市に昼間二交代定時制課程が設置されていたという情報を入手することができた。小山高と合わせて今後詳細を把握するようにしたい。
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