研究課題/領域番号 |
23531031
|
研究機関 | 関西学院大学 |
研究代表者 |
宮本 健市郎 関西学院大学, 教育学部, 教授 (50229887)
|
研究分担者 |
佐藤 隆之 早稲田大学, 教育・総合科学学術院, 教授 (60288032)
|
研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
|
キーワード | 進歩主義教育 / 学校建築 / 講堂 / 多目的室 / アメリカ / 国際情報交流 / モダニズム建築 |
研究概要 |
学校建築史の観点から、講堂と多目的室の出現過程の分析を進めた。19世紀から20世紀前半までの学校建築の変化を概観し、教会モデル、工場モデル、家庭モデルという三つに整理した。19世紀の校舎は教会モデルであり、大きな部屋がひとつだけの単級学校であった。大きな部屋(schoolroom 教場)の構造は、教師(牧師)の権威を示すようになっており、空間の秩序が重視されていた。この秩序を子どもに教え込むことがこの時期の教育のねらいであったことがわかる。教室と講堂は分かれていなかった。工場モデルの校舎は、19世紀末に大都会で出現したものであり、通常の教室だけでなく、教科別の特別教室、作業場、体育館、図書館などを備えていた。これらのたくさんの教室を設置し、一つの教室に一人の教師を配置することによって、能率よく、いろいろな教科を子どもに同時に教えることができるようになった。工場の大量生産と同様に、学校でも大量生産が可能になったのである。そのような施設のひとつが集会所assembly hallであった。集会所は、当初は全校の生徒が集合できる場所として、校舎の中央部の廊下を拡張する形で設置されていたが、20世紀の初めから、ひとつの独立した建物である講堂に変貌していった。家庭モデルの校舎は、1930年代に子ども中心の教育思想が広がった時期に、カリフォルニアやシカゴ郊外に出現した。それらは人間(子ども)の生活やリズムに配慮したものになっており、ヨーロッパに始まり、アメリカにも普及したモダニズム建築の影響を受けたものと思われる。この時期の講堂や多目的室は、そこで様々な活動が可能であること、子どもの自己表現の場所になっていることなどに、教育的意義を認めることができる。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1年目の課題は、二つあった。一つは、アメリカの学校建築史に関する先行研究を精査し、同時に、講堂と多目的室の出現の過程を示す一次資料を収集することであった。もう一つは、教育課程史の観点から、講堂や多目的室を利用した教育実践について具体的な記録を探索することであった。 アメリカの学校建築史関係の先行研究の主要なものをほぼ収集し、研究状況を把握した。また、先行研究で言及されている一次資料のかなりのものが入手できた。それらの研究と資料にもとづいて、学校建築の様式として、教会モデル、工場モデル、家庭モデルという三つを提示した。そのなかでも、今年度は工場モデルの校舎についての資料を中心に読み、20世紀初頭の進歩主義教育の影響が学校建築にどのように現れていたかを確かめた。19世紀末から、シュナイダー(ニューヨーク市)、イトナー(セントルイス市)、ドノヴァン(サンフランシスコ市)など、学校建築の専門家が設計した学校のデザインを収集して、工場モデルの校舎を具体的に示すことができるようになった。ただ、学校建築に関する思想という点では、まだ不十分である。 講堂や多目的室が出現する過程を、入手した学校の図面から確認することができた。当初は集会所であったものが、体育館や講堂に変化したこと、やや遅れて多目的室が出現したことなど、興味深い事実を確かめた。しかしながら、その変化の背景にあった教育思想や教育政策の分析が必要であるが、まだ分析が進んでいない。 もう一つの課題は、講堂を利用した教育実践に関する資料の収集と分析であった。1920年前後のティーチャーズ・カレッジ附属小学校で実践されたプロジェクト・メソッドを取り上げて分析を進めている。また、連邦教育局にいて全米の学校建築の調査をしていたアリス・バロウズの思想と彼女が推進したプラツーン・プランの教育を分析中である。
|
今後の研究の推進方策 |
平成24年度は、収集した資料の分析が中心である。工場モデルの校舎を代表するゲーリー・スクールの実態、およびゲーリー・プランを全国に普及させようとしたアリス・バロウズの教育思想を手がかりにしながら、進歩主義教育の思想がどのように教育実践に反映していたかを確かめる。バロウズは、1920年代から1930年代にかけて、連邦教育省の学校建築専門官として、ゲーリー・プランをプラツーン・プランとして全米に紹介し、普及させた。バロウズはコロンビア大学でデューイに学び、彼の教育思想を最もよく理解していた思想家であり、講堂を民主主義が生まれる場所とみなしていた。バロウズの思想を分析することで、進歩主義教育と工場モデルの校舎との密接なつながりを明らかにする。 家庭モデルの校舎は1930年代に出現するが、その背景には建築におけるモダニズムの影響があったと思われる。家庭モデルは子どもの様々な学習や活動を保障しようとするものであり、多目的室の設置はそのためのひとつの具体的な形態であった。このような校舎の変化は、建築におけるモダニズムが校舎に反映されたものと言える。クロウ・アイランド小学校を設計したサーリネン、コロナ・スクールを設計したノイトラなど、建築家の思想と、進歩主義教育との関連を調べることで、進歩主義教育とモダニズム建築の関連を解明する。 講堂や多目的室での教育実践の例は、ティーチャーズ・カレッジ附属ホーレス・マン・スクールを取り上げて、詳細に分析する。同校はデューイやキルパトリックなどの進歩主義教育思想を最も強く受けており、資料もすでにかなり集めている。また、ニューヨーク市公立図書館やメトロポリタン博物館などと協力しながら、生徒が学習したことを講堂で発表することもあったので、ニューヨーク市に行って、その関係の資料をさらに収集する予定である。
|
次年度の研究費の使用計画 |
研究分担者の佐藤は、科研費を使用して2011年度に渡米して、ニューヨーク市にあるティーチャーズ・カレッジで史料を収集し、また同市にある公立学校での講堂の状況を調査する予定であった。しかしながら、所属大学の研究費によって、2012年3月にニューヨーク市の学校を調査する機会が得られたので、科研費を使用する必要がなくなった。しかしこの時の渡米は、別の研究テーマでの調査であったので、科研での史料収集は十分には行うことができなかった。 したがって、今年度の予算を次年度に持ち越して、2012年度に再びニューヨークを訪問して、本科研に直接に関係する史料を収集することにした。
|