平成24年度には、韓国の民衆教育運動におけるパウロ・フレイレの教育思想の受容という観点から、1970年代から1980年代の夜学について検討した。その中で確認できたことは、以下の通りである。第一に、フレイレの教育思想は、韓国には1970年代初めに民衆神学者によって初めて紹介され、キリスト教教育運動で受容され、そして夜学運動、学生運動、教師教育運動など、1970年代半ば以降から1980年代に広範に影響を与えたことである。キリスト教教育運動においては、フレイレの意識化教育論は、アリンスキーの組織化論と結合されて「意識化・組織化」という概念で受け入れられたという特徴をもっていた。第二に、民衆教育運動において、フレイレの教育思想は「理念型」として受容され、フレイレの教育方法論に対する具体的な研究や実践における方法論的適用は進展しなかったと指摘されていることである。そうした中で夜学運動においては、フレイレの教育思想は特に重要な理念的準拠として受け入れられ、一部の夜学では学習者の生活世界を基盤とした教材をつくり、社会問題を認識できる教育内容を構成しようとする試みの準拠として受容されていた。第三に、1980年代、マルクス主義の本格的な流入、特にスターリン主義によって解釈されたレーニン主義政治運動の流入以後、「意識化」概念は、政治的動員の手段、外部者からの注入による民衆の意識変革という認識のもとに、フレイレの「意識化」とは異なる意味合いをもつようにもなったことである。
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