県は昭和26年度に11のモデル保育所を指定し、公開保育と研究会を行ない、保育の質を向上させる取り組みがなされた。それ以前に、戦後の混乱から子どもを守り、保育を進めようとする動きがあった。昭和21年に福岡県保育連盟が発足し、機関紙『育てつつ』が発行され、地区ごとの研究会が開催され、昭和20年代の半ばまでは、保育所、幼稚園両方の保育者を対象としていた。保育所への補助に関しては、共同募金からの補助が福岡県では特に多かったことが明らかになった。 戦後すでに70年近くが経過していることもあり、得られた資料は限られていたが、占領期を中心にした昭和20年代の福岡県の保育状況の一端を明らかにできた。
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