1 第二次世界大戦後の教育改革期から1970年代まで、イギリスでは、教員養成の内容については大学を基盤として組織された地域教員養成機構(ATO=Area Training Organizations)が責任を持っていた。いわば、ATOは教員養成の「質保証」システムであったといえる。本研究は、このATOの制度と機能についての歴史的検証を目的とした。 2 本年度は、新たな資料の収集として、ロンドン大学に関して、1975年にATOが法令上の根拠を失って後、1979年にSenateの決定によりロンドンATOが実質的に役割を終えるまでの間、同大学内部でどのような動きがあったのについて、Institute of EducationのアーカイヴにてAnna Committee及びTEACのファイルを検索・閲覧・撮影した。大学を核にして地域における横断的関係を継続しようとする努力があったものの、法令上のATO廃止による補助金廃止という財政的要因が事態の展開を規定していったことを確認できた。 3 研究期間全体のまとめのために、教員養成課程の「質保証」に関わる機関について戦後改革期以来の整理を行い、併せて、戦後改革から40年間については、教員養成課程の「質保証」のアカデミックな側面(academic validation)とプロフェッショナルな側面(professional accreditation)の把握の歴史を明らかにした。ATOの時期には両者の要求が一つのプロセスで満たされている状態があったが、ATO廃止によって両者が分化した「質保証」システムの成立という次の時代が準備されたこと;ATO廃止以降、地域レベルで教師教育の関係者が集まる法令上に根拠を持つ“場”は今日まで存在していないこと;廃止は教員養成と教育学研究の関係にも関わるものであったこと;等の知見を得た。
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