美術の動向は19・20世紀において「イズム」を中心とする運動に支配された。第二次大戦後、欧米や日本のアート・シーンで流行した「脱ジャンル的」「インタラティヴな」、いわゆる「環境芸術」運動に呼応した現代アートが展開していった。大阪では、1950年代後半から学生時代に環境美術や現代アートの洗礼を受けた若い美術教師が、「行為の美術教育」として総合的な造形活動を展開し、従来の絵画・デザインという「既成の領域分け」(ジャンル)の意識に囚われずに「題材」研究をし、実践を積み上げられていた。「題材」は、現代アートの視点から造形対象・技法の範囲を超え、一連の行為や過程を含み入れるものとなった。この動向は次のことと結びつく。㈰1960年代、教科確立のための「美術教育の現代化」に合わせて、図画工作・美術科の教科内容ジャンル「絵画」「彫刻」「デザイン」「工芸」「鑑賞」が成立するが、要素・分析的な「デザイン」について主題・題材が問題化すること。(2)1970年代、学習指導要領改訂にあたり、教科内容の精選とゆとりを基本テーマとし、「合科教育」や「総合教育」の問題が浮上したこと。結果として、「題材」概念は、古典物語主題から、造形上の視覚題材・材料へ、さらにはプロジェクトやワークショップ、ESD等に見られる「かかわり・つながり」のための契機として意味を変えてきた。この概念変容の主な要因は、次の2点から述べられる。㈰単元構成に現代アートの行為や過程の視点を受容したこと。㈪題材の意味や関心が、デューイが示唆するように「教材(題材)としての経験」の組織化のあり方に向いていったこと。この両面から、「題材」概念は、可視的対象や静止した対象を越え、子ども・教師の関係を含めた「経験」から生成される意味や原理を包含する結果となりつつある。
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