中世前期を中心に、阿弥陀浄土信仰の建築造形と、そこから浮かび上がってくる阿弥陀信仰の実態、およびその基盤となる中世仏教について検討した。主たる内容・成果は以下のとおりである。 ①重源の浄土寺浄土堂の造形と、重源の阿弥陀信仰を中心とする仏教思想との関係について検討した。これまで中国の宋の仏教との関係が注目されてきた重源であるが、日本中世の顕密仏教の影響の重要性を指摘した。本研究の内容の一部は、冨島義幸「重源・栄西の建築―革新と伝統―」(狭山池シンポジウム、2014年)として口頭発表した。 ②平泉の無量光院跡の調査を継続的におこない、遺構の分析をつうじて阿弥陀浄土の造形の具体的な表現の一端を明らかにした。とくに今年度は、無量光院阿弥陀堂の前池舞台をふくめた復元CGの作成することにより、平成25年度に冨島義幸「都市平泉と浄土信仰」(「平泉の文化遺産」の世界遺産追加登録に係る国内専門家会議、2013年)として口頭発表した内容、すなわち阿弥陀堂とそれを取り巻く周辺の景観との関係から読み解かれる、阿弥陀信仰の建築造形の思想的な意味についてより具体的に検証した。現在、この研究成果を公表するための学術論文を執筆中である。 ③阿弥陀信仰にもとづく建築についての新たな造形論の基礎を築くべく、研究の総括をおこなうとともに、浄土教中心史観の問題点、中世の密教と阿弥陀信仰の関係、中世仏教における浄土教の位置づけについて検討し、その成果を冨島義幸「阿弥陀信仰の造形と顕密仏教―「浄土教」概念の再検討―」(第3期第5回日本宗教史懇話会サマーセミナー、2014年)として口頭発表した。
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