本研究では、明治期の建築界が行った満洲調査を研究対象とし、調査資料と調査対象の歴史的建造物を照合後の調査の歴史的、学術的意味、(1) 明治期の日本建築界における中国調査の中での満洲調査の位置付け、(2) 満洲調査を明治期の日本建築界の動きや他の中国調査と比較、分析した上での相互の影響関係、(3)満洲調査の対象となった歴史的建造物の現地での再調査による史料価値の意義、(4)伊東忠太と大江新太郎の設計活動と関連させた満洲調査の影響の諸点を明らかにした。 本研究では、まず明治期の日本人研究者が調査した歴史的建造物を再調査し、明治期の調査時と現状が比較できるリストを作成し、それを後の世代の村田治郎や伊藤清造などの日本人による調査と戦後に中国人が行った調査の各結果を収集して、総合的な調査結果により、満洲の歴史的建築物の全体像を描き出した。さらに、伊東忠太や大江新太郎など、設計を手がけた研究者の作品を整理して、その設計手法と満洲調査の関連を分析した。 日本人の満洲調査が最も早い基礎的データであり、のちの中国建築史を構築する際の基礎になったことを明らかにし、同時に、満洲調査と伊東忠太の世界建築体系における認識の形成との関連性及び大江新太郎の進化主義様式の設計作品との関連性を明らかにした。 また、本研究では、満洲調査の記録を基づき、新たな建築史、都市史研究を展開させた。更に、満洲調査史料を元に、調査対象の歴史的建造物の現状を調査し、現存していれば損壊状況を確認し、保存のための基礎的情報を整理したことで、戦前の調査成果を現代の歴史的建造物の保存に活用する仕組みを構築した。 そして、中国、日本及び欧米の建築史研究者による国際シンポジウムを主催し、日本人の満洲建築調査の歴史的、現代的な意味を国際的な円卓で再検討した。
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