研究課題
鳥類刻印付けは、孵化後間もないヒナが近くで繰り返し曝された視覚刺激を覚え、追従する現象である。この記憶はニワトリヒナにおいても、数時間のトレーニングによって獲得させることが可能である。しかし、どのような大脳遺伝子群の発現の変化が記憶獲得に重要であるかはほとんど明らかにされていない。平成23年度の研究業績として、最初期遺伝子の一つであるBDNF(脳由来神経栄養因子)の機能解析がある。申請者らは、cDNAマイクロアレイ解析により刻印付け直後に最も高い発現がみられた脳由来神経栄養因子BDNFに着目した。in situ hybridization法とイムノブロット法によりBDNFと刻印付けの関わりについて調べた。その結果、刻印付けに必要とされる大脳領域(IMHA, intermediate medial hyperpallium apicale)でBDNFの発現が刻印付けの直後に高まることを見出した。さらに、BDNF受容体TrkBやその下流のAktのリン酸化が促進されることを見出した(NeuroReport, 2011)。これらのことは、刻印付けの過程でBDNFの受容体TrkBが活性化され、さらに下流のPI3K-Akt経路が活性化されていることを示している。鳥類は哺乳類と異なる進化の過程で、高等哺乳類と同等の高度に発達した大脳を獲得した。特に本研究で着目した大脳領域IMHAは哺乳類の視覚連合野と相同と考えられている領域である。従って、本研究により哺乳類と共通する学習の分子メカニズムが明らかになることも期待される。従来の哺乳類の研究により、神経栄養因子BDNFは発生過程で神経細胞の分化誘導や生存維持に関わるだけでなく、シナプス伝達や神経回路の可塑性に関わっていることが知られている。本研究により、社会性の発達に伴う記憶形成に関わる遺伝子の機能が明らかとなる。
1: 当初の計画以上に進展している
最初期遺伝子群の一つとして、BDNFの刻印付けにおける機能を明らかにした。そして、原著論文として、Neuroreport(2011)に発表したことが、おもな業績として挙げられる。申請者らは鳥類ヒナの「刻印付け」を記憶形成のモデルとして、学習における神経回路改編の分子メカニズムを解明することを目的としている。そして、申請者らは刻印付け後に遺伝子発現上昇が見られた脳由来神経栄養因子(BDNF, Brain-derived neurotrophic factor)に着目し、刻印付けに必要な大脳領域IMHAでのBDNFの発現上昇と、BDNF受容体TrkBの活性化を見出した。本研究の特色は、申請者らが刻印付けに伴い発現上昇する遺伝子として見出した神経栄養因子BDNFに着目し、刻印付けの分子メカニズムを明らかにしていく点にある。刻印付けは孵化後初めて見た視覚刺激により形成される記憶であり、刻印付け以前の視覚刺激による経験がない。このため、刻印付けに伴った遺伝子発現の増減や神経微細構造の形態変化が効率よく検出される。さらに、申請者らが確立したヒナ大脳の神経細胞への遺伝子導入法を用いることで、大脳での遺伝子発現の変化が刻印付けの成立に与える影響を評価できる。これまでBDNFが生後間もない時期の学習でどのように神経回路の改編に関わるのか、個体を使った解析はなかった。刻印付けをモデルに記憶学習の分子メカニズムに迫る本研究はBDNFの遺伝子発現変化の刻印付けへの影響を、個体の行動レベル・神経微細構造レベルで解析、評価できる。現在までにBDNFの刻印付けにおける機能を分子レベルで解析することに成功しており、達成度は高いと考えられる。
これまでの進捗状況として特記すべきは、最初期遺伝子群の一つとして、BDNFの刻印付けにおける機能を明らかにしたことがあげられる。今後の推進方策として、(1)BDNF遺伝子抑圧による刻印付けに及ぼす影響の解析を行う。具体的には、BDNF が刻印付けに必要な遺伝子であるかを解析する。そのために、siRNA 発現ベクターを大脳領域IMHAの神経細胞にエレクトロポレーションにより導入する。そしてBDNFの遺伝子発現を大脳領域IMHAで抑圧し、刻印付けにどのような影響が見られるかを解析する。(2)BDNF受容体TrkBを介したシグナリングの刻印付けにおける生化学的解析を行う。具体的には、BDNFの受容体TrkBを介したシグナリングの中で、刻印付けに伴い活性化されていたPI3K-Akt経路の阻害剤を大脳領域IMHAに注入して、刻印付けへの影響を解析する。さらに、TrkBの細胞内へのシグナル伝達に必要な細胞内ドメインを欠損したドミナントネガティブ型を遺伝子導入により神経細胞に発現させ、TrkBシグナリングを抑制し、刻印付けへの影響を解析する。これらの実験によりTrkBを介したシグナリング経路の刻印付けにおける重要性が明らかとなる。(3)神経微細構造(棘突起、樹状突起)のin vivo棘突起イメージングを行う。具体的には、BDNFの刻印付けに伴った発現変化が神経微細構造に与える影響をin vivoで解析する。すなわち、BDNF遺伝子の発現を抑圧した神経細胞、及びTrkBシグナリングを抑制した神経細胞の樹状突起と棘突起に注目する。BDNF遺伝子の発現の抑圧、及びTrkBシグナリングの抑制が、刻印付けに伴う大脳領域IMHA の神経細胞の形態変化に影響があるかを二光子励起レーザ走査型顕微鏡を用いて解析する。これらの実験によりBDNFの生後の学習に伴う神経回路再編成における機能を解明する。
平成24年度は、消耗品費が主な使用内訳となる予定である。また、英文論文の発表と並行して英文校正の謝金を考えている。
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Neurosci. Res.
巻: 69(1)(Epub 2010 Sep 19. PubMed PMID : 20858519) ページ: 32-40
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Neuroreport
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PMID: 22015740