奈良県大台ケ原東部の高標高域では,かつては広く覆っていたトウヒ林における立木密度の顕著な低下がみられるように,森林の衰退が深刻である.生残した成木による繁殖を評価することは,今後の森林再生の方針を決定するうえできわめて重要である.すなわち,花粉飛散による遺伝子流動は,植物集団の遺伝構造に大きく影響する.また,風媒性樹木では,立木密度が受粉効率に影響を及ぼす.そこで本研究では,大台ケ原における立木密度が異なる2つのトウヒ林分において,トウヒ成木の遺伝構造ならびに局所的立木密度がトウヒの自殖率などに及ぼす影響を調査した.各林分のトウヒ成木について7遺伝子座でマイクロサテライト解析を行い,遺伝構造を調べた.また,23個体の母樹について,トウヒ成木だけの局所的な立木密度と,林冠層に到達している全樹木の局所的な立木密度を測定した.さらに,各母樹30個の種子について,自殖率,2親性近親交配率を算出し,種子の父親推定によって花粉飛散距離を算出した.いずれの林分においても立木密度と自殖率との間には相関が認められず,2親性近親交配についても確認できなかった.一方,花粉飛散距離は疎な林分の方が密な林分よりも長かった.立木密度は花粉飛散に影響を及ぼすものの,繁殖成功のパラメーターには顕著な影響は認められなかった.これらのことから,林分の立木密度にかかわらず,近隣個体や近縁個体との交配の機会が多く,近親交配による種子割合が高いものと示唆される.
|