研究課題
平成24年度は、前年度より注目していた分子性導体β'-(BEDT-TTF)2ICl2に対する中性子散乱実験を、以下のとおりおこなってきた。まず本年度初めに、連携研究者である谷口准教授(埼玉大)により単結晶試料が追加作製され、合計約2gを非弾性散乱実験用に準備した。この単結晶試料を用いて、11月に、中性子非弾性散乱による磁気励起の観測に挑戦した。この系は22K以下で長距離反強磁性秩序を示すが、転移温度以下において、磁気励起の可能性のある非弾性散乱強度の増大を観測した。しかしながら、無機物質の場合と異なりスピンがBEDT-TTFダイマーに広く分布しているため、明瞭な分散までは観測されなかった。さらに、平成24年6月と25年2月には、同物質において示唆されている、BEDT-TTFダイマー内の電荷の不均化にともなう誘電率の異常を反映したフォノンの観測を、中性子非弾性散乱を用いて行った。電荷の不均化が期待されているb軸方向の測定を行ったところ、音響フォノンの分散と、0~36meVの間に約10個の光学フォノンモードの観測に成功した。また、E=4.2meVに現れる光学モードは、この系の電荷とスピンと強く結合したモードであることが、温度変化から明らかになり、現在、論文を投稿中である。中性子散乱によって分子性導体のフォノンを観測した例は、過去に3軸分光器を用いた研究1件しかなく、チョッパー分光器を用いた研究は全く報告されていない。本研究は、チョッパー分光器「アマテラス」を用いて、分子性導体におけるフォノンの全体像を中性子非弾性散乱で観測した、世界初の成功例と言える。この結果は、申請当時から考えていた「量子ビームによる分子性物質の物性研究を発展させる」という、本研究の重要性のひとつを示したものであると考えている。
2: おおむね順調に進展している
分子性導体β'-(BEDT-TTF)2ICl2に関して、試料の増量と、中性子非弾性散乱によるフォノン異常の観測に成功した点については、計画どおりに進捗している。同物質の磁気励起の観測については、観測された散乱強度が磁気励起によるものであるかどうか検証するためのさらなる解析が必要である。また、より明瞭なデータを示すための実験セットアップの改善が、課題として残っている。実験に用いる分光器アマテラスのバックグラウンド軽減に関しては、装置グループでのラジアルコリメーターの開発が順調に進んでいる。一方、今年度は、分子性導体のミュオンスピン緩和(μSR)実験にさきがけて、無機物量子スピン系RbCu2Mo3O12の極低温でのμSR測定を予定していた。しかし、残念ながら試料環境機器の不調により、必要な温度まで冷却することができず、期待された成果を得ることはできなかった。以上のような状況をふまえ、本年度の研究はおおむね計画通りに進展していると考えている。
平成25年度は、まず現在投稿中のβ'-(BEDT-TTF)2ICl2のフォノン異常に関する論文について、できるだけ早い掲載を目指す。この系のフォノン観測に関する中性子非弾性散乱実験を継続して行う予定であり、5月には、音響フォノンの分散と、電荷・スピンの自由度を反映した光学モードのソフト化の有無を詳細に調べる。この成果も年度内の発表を目指す。さらに6月には、類似物質θ-(BEDT-TTF)2CsZnNCS4について、同様にフォノン異常の観測に挑戦する。前述のβ'-(BEDT-TTF)2ICl2は、試料の量産が比較的容易であるため2gの単結晶を用意できたが、通常の分子性導体では、これほど大量の単結晶を準備することは現実的ではない。中性子非弾性散乱の分子性導体への応用を目指すには、50mg程度の単結晶試料での測定が必要となる。そこで、少量かつ微小単結晶試料でβ'塩と同様に異常な誘電率のふるまいが期待される上記のθ型塩に対し、中性子非弾性散乱によるフォノンの観測に挑戦する。この系は、昨年度すでに室温でのテスト実験を行い、十分なフォノンの強度が得られることを確認している。本年度は、低温での測定を行い、電荷とフォノンの関連性を議論していく。また、前年度に機器の不調により成果が得られなかったμSR実験については、26年2~3月に実験ができるよう、再度課題申請する(25年8月~26年1月は、J-PARCが長期シャットダウンに入るため、実験は不可能である)。
実ビームを用いた軸立てが不可能な分子性導体において、単結晶試料の軸を入射中性子に対し正確に合わせるための治具を、昨年度製作する予定であったが、いくつかの検討すべき問題が明らかになったため、製作を本年度に延期した。試料準備等に必要な機器類、中性子散乱およびミュオン実験に使用するための試料セル、銀箔、インジウムワイヤーなどの消耗品も購入する。通常、中性子散乱では、肉厚0.3~0.5mm程度のアルミ製試料缶に試料を封入するが、試料が少量の場合、缶のアルミからのフォノンのシグナルが本質的な非弾性シグナルより強くなってしまうため、缶に封入しない試料ホルダーを製作する必要もある。以上のような物品製作および購入のため、130万円を計上する。本年度は成果報告のため、3~4回程度の国内出張と、1回の海外出張を予定している。研究打ち合わせのための出張とあわせて、合計70万円を計上する。残りの10万円程度は、論文投稿、英文校閲等の費用として計上する。
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