本研究の目的は、弥生時代終末期(3世紀前半)の遺跡から細片となって出土する青銅器(銅鐸や銅鏡)を対象として、(1)破片となったプロセスを金属工学的に考察し人為的な関与の有無を明らかにするとともに、(2)破片青銅器の型式や分布の特徴を考古学的に分析することによって、破片青銅器が有していた歴史的意味を解明することである。 (1)については、実物資料の破壊分析が予想外に困難であったため、実物と同じ成分比で製作した銅鐸レプリカを用いた分析に切り替えて実施した。具体的には、鉛を含む青銅(Cu-Sn)合金からなる銅鐸試料の破壊挙動を考察すべく、本合金サンプルを500~750℃の温度範囲で10分間、加熱保持した後、急速冷却(水冷)することで合金内部での亀裂発生状況を観察した。素地はα+βの2相混合組織からなり、また鉛は液相状態として素地中に存在するが、710~720℃および750℃において素地内部に亀裂の発生が確認された。Cu-Sn系合金は、凝固温度範囲が広いために鋳造素材内に種々の欠陥が生成し易いが、これを起点に上記の温度で形成される共晶点での局部溶融現象によって、連結亀裂が発生し、その結果、加熱した銅鐸試料にて等分割破壊が生じたと推察できた。 (2)については、銅鐸片、鏡片の集成・分析を行い、前者は突線鈕式銅鐸片が平野部の拠点的遺跡から出土する傾向が顕著なこと、後者は瀬戸内から近畿にかけて内行花文鏡の鏡片が圧倒的手数を占めることなどの特徴を見いだした。 以上のことからヤマト政権成立直前の弥生終末期において、銅鐸は神聖性が急速に失われ、再利用のため人為的に加熱して破片化されたのに対して、内行花文鏡片は瀬戸内~畿内の首長連合のシンボルとして、数量不足を補うべく、貴重品として分割所持されたという差異を明らかにした。研究の総括的成果はH25年度に論文として公表する予定である。
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