ベルクソンはパリのアンリ四世校で1891-1893年に哲学講義を行っているが、その講義を聴講したアルフレッド・ジャリの自筆ノートには未公刊の「美学講義」が含まれている。この講義ノート のマニュスクリプトを解読し、テクストの校定を行った。そこには、カント、シラー、スペンサーのような「ディレッタントの美学」とヘーゲルの弟子であるシュナイダーの「功利主義的美学」との和解が試みられ、「魂における遊戯」、「目的なき合目的性」、「個人的な生」を超越しながら「人類の生」、「永遠の象徴」を希求するベルクソン自身の美学ーアナロジーの論理による直観の美学ーの萌芽が認められる。
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