研究概要 |
本研究は、19世紀末から20世紀前半のイギリス文学に見られる居住環境や建築物の表象を研究対象に据えることで、これまでの文学史では看過されてきた郊外小説を中心とする文学作品群を掘り起こし、同時代の文脈と併置しながらその社会的な意味を明瞭に浮かび上がらせた。Arnold Bennett, William Pett Ridge, Keble Howardなどの小説は、都市郊外に居住する下層中流階級の凡庸な日常生活を淡々と描き、19世紀末から20世紀初頭にかけて人気を博した大衆文学である。しかし、都会的なモダニズム文学が台頭すると、狭量かつ旧世代的なものとして文学史からも忘却されてしまった。しかし、家自体にはその時代の重要なイデオロギーが内包されている。18世紀末より発展したロンドンの郊外は中流階級にとって、都市内部に残された汚れて不衛生でやかましく下品な居住空間から隔離されて人工的に構築されたユートピアであった。18世紀において風景美に適用された「ピクチャレスク」という美学概念が郊外住宅の形容として19世紀に用いられるが、それは都市内部の労働者や貧困層のすむスラム街と対蹠した美的な価値を見出そうという中流階級イデオロギーの表出に他ならない。本研究では19世紀末にはそうした美的価値観、生活観が下層中流階級にまで浸透し、この時代の文壇を風靡した郊外住宅小説にも表出していることをたどった。大衆文学として片づけられがちが郊外小説であるが、そこには下層中流階級特有の核家族化し、孤立化した家庭生活と地域内のこじんまりとした社交に甘んじる彼らのコミュニティが描かれている。それはコスモポリタンな視野をもったモダニズムとは異なる「イングリッシュな」生活感覚であり、同時にヴィクトリア朝社会を構築したCivic Prideが欠落した世界でまる。
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