本研究は、〈近代〉日本における最も包括的かつ根底的なイデオロギーである「社会進化論」すなわち「優生思想」とその文学に与えた影響、相互浸透関係を明るみに出すことを眼目として、そのための実証的基礎資料を国際的視野で集めつつ、新視点で研究を展開するものである。最終二年目である2012年度は、研究計画に従い、国内外の諸施設における基礎資料の精査・収集を継続、問題関心別に系統化させた。また成果として、共著での論文発表を一件、研究内容を生かした講演二回、事典項目執筆を二件行なった。その主な内容は、(1) 大正期の解放思想、特に平塚らいてう、大杉栄における進化論の問題を検討すること、(2)明治期、とりわけ日清戦争以後の広津柳浪、森鴎外の文学に見られる狂いの表徴を、心身の優劣を序列化する優生学的規範と日常化した見えにくい戦争との交錯から再考、分析すること、(3)加えてそれら文学テクストが形成している独自の劣位のエクリチュールとでも呼ぶべき文学史上の脈絡を掴み出すこと、である。また並行して、旧植民地の優生思想との比較検討のため、韓国全羅南道国立小鹿島病院を訪問、関係資料の収集をはかった。以上の作業と検討により、明治・大正期の解放思想や文学が、今日の発想からは死角となる形で自然史的思考の侵蝕を受けており、文学的〈近代〉における「社会」性が今日からする定義とは異なること、またそれゆえに生じた既存の読解上の誤りは修正すべきこと、優生思想を単に諸々の西洋思想の一つに縮減せず、戦争をも含めた社会的歴史的な関係性のもとで深く位置づけるべきこと、以上は現在に歴史を切り縮めない実証に基づく、解釈主体自身の相対化を必須とすること、それら重要な諸点を明確にすることができたと思われる。なお、計画で予めお知らせしたように当初予定された物品 (図書) 費を複写費で代替させ、費用の倹約及び有効活用に努めることができた。
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