研究課題/領域番号 |
23652156
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
矢田 俊文 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (40200521)
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研究分担者 |
小野 映介 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (90432228)
谷口 央 首都大学東京, 人文科学研究科(研究院), 准教授 (90526435)
堀 健彦 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 准教授 (80313493)
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キーワード | 地震 / 地形 / 隆起 / 沈降 / 遠江 / 浜名湖北部 / 1707年 / 宝永地震 |
研究概要 |
24年度の成果は、以下の2点である。 1.南海トラフ周辺で起った1707年の宝永地震による浜名湖北部の地形変化を文書(宝暦6年10月作成の気賀伊目村の村明細帳)によって検討した。得られた結論は次のようなものである。1つは、浜名湖北部地域気賀伊目村の約80パーセントの田地が1707年の宝永地震によって沈降したこと、2つは、沈降した気賀伊目村地域は、宝永地震から50年後の1756年になっても高潮の際には浜名湖の水面下になるなど、地震前の地形に戻っていないことである。 2.静岡県西部に位置する浜名湖北西部の伊目低地において、過去の地震性地盤変動と津波の影響を明らかにするために地質調査を実施した。伊目低地は幅約100m、奥行き約300mの溺れ谷状の沖積低地である。 低地内の7地点でハンドオーガーおよびジオスライサーを用いた掘削調査、堆積物の放射性炭素年代測定を行うとともに、各地点の標高の測量を実施した。その結果、伊目低地は縄文海進時に沈水した後、約1700年前までには河川による土砂の堆積が進んだが、以後も低地の奥にまで湖水が流入し、葦が生い茂るような状態が続いたことが明らかになった。低地の上流部が離水(陸化)するのは約800年前以降であり、低地の下流部では引き続き湖水が流入する葦原が広がっていた。低地の大半は標高0m以下であることから、現在のような水田が開かれたのは干拓事業によるものと推定される。低地の標高が低い点については、地震性の沈降の影響を受けた可能性があるが、その確証は得られていない。また,津波堆積物と認定できる堆積物は確認できなかった。現在、堆積物中に含まれる珪藻の分析を進めており、今後、地震性沈降と津波の流入に関する新たな知見が得られる可能性がある。
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