本研究は、「多文化共生」を外国人児童生徒教育における重要な言説と捉え、その言説分析を通して、それが当該教育の展開においてどのような意味を有しているのかを明らかにすることを目的とするとともに、欧米から導入された教育理論・概念である「多文化教育」が日本においてどのように受容されているのかについて明らかにすることを目的としている。本年度(平成25年度)は、昨年度および一昨年度に引き続き、外国人児童生徒を対象とした日本語教育との関連で論じられる「多文化共生」および「多文化共生教育」に言及している文献の言説分析を継続するとともに、言説分析で得られた結果に基づき、外国人児童生徒教育における「多文化共生」が持つ意味についての考察を試みた。 言説分析の結果は以下のように要約することができる。 1 多くの文献において、「多文化共生」概念は明確に定義されることなく用いられており、その内容はきわめて不明瞭なものとなっている。 2 「多文化共生」においてもっとも強調される論点は「共通性」であり、「差異」についてはほとんど言及されない。言及される場合においても「差異」と「共生」との関連についての議論の展開は見られない。 以上の言説分析の結果をふまえ、以下のような結論を導き出すことができる。 「多文化共生」言説においては、「共生」に焦点があてられ「多文化」への志向は希薄である。外国人児童生徒教育の文脈に即して言うならば、当該言説は外国人児童生徒を現状の学校文化・言語に適応(共生)させるための driving force としての機能を果たしている。外国人児童生徒教育において日本語教育がその中心的位置をしめているが、このことは「多文化(言語)」化ではなく、むしろ「単一文化(言語)」化を促進することになるが、「多文化共生」言説はこのような単一化(同化)批判をかわすための「言説装置」として用いられている。
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