研究課題/領域番号 |
23655173
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研究機関 | 東京工業大学 |
研究代表者 |
伊藤 繁和 東京工業大学, 理工学研究科, 准教授 (00312538)
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研究期間 (年度) |
2011-04-28 – 2014-03-31
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キーワード | 量子コンピュータ / 核磁気共鳴 |
研究概要 |
複数のリン原子を導入したNMR量子ビット分子の合成と緩和特性について検討した。基本的な核スピンI = 1/2の2量子ビット構造として、立体保護されたsp2リン原子を含む二つの非等価なリン原子を有する1,3-ジホスファプロペンを用い、これにもう一つの量子ビット源として2位にフッ素原子を導入した2-フルオロ-1,3-ジホスファプロペンを3量子ビット分子として中程度の単離収率で合成した。この過程においては、不安定なジブロモフルオロメチルリチウムの反応を制御することが鍵となるが、溶媒と反応温度を調節することによって単一の立体異性体に導くことができた。得られた1,3-ジホスファプロペンの緩和特性を解析したところ、これまでに報告している1,3-ジホスファプロペンよりも長い横緩和時間を有していることがわかった。これはフッ素原子のサイズが小さいためにスピン-格子緩和が比較的起こりにくくなっているためと考えられる。この長い横緩和時間はすなわち、デコヒーレンスしにくく、量子情報処理に有利と思われる。続いて、タングステンと白金を用いて金属錯体の合成と緩和特性について検討を行った。通常、金属原子が配位すると分子サイズが大きくなるために横緩和時間が短くなる傾向となるが、1,3-ジホスファプロペンの4員環キレート構造による分子歪みの効果によって高いリン・炭素二重結合の部分の剛直性が減少するために却って横緩和時間が長くなる傾向が見られた。さらに、得られた4員環キレート錯体構造にもう一つの対称型P2配位子を導入した新規な錯体を、熱的に少し不安定ではあるものの構築することに成功した。もともと導入されている非対称P2配位子の効果によって、錯体中の4つのすべてのリン原子が非等価になり、さらにフッ素もすべてのリン原子とカップリングしていることから、この段階で有用な5量子ビット分子としての能力が示唆された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究では、実用的な量子コンピュータの実現に向けた合成化学からのアプローチとして、ふたケタの量子ビット数を有する分子系の構築を目指す。具体的には、我々がこれまでに見出してきた特異構造リン化合物の合成に関する知見を背景として、さらに当研究室で開発した分子系の特有な配位化学を用いた「非対称化」を有効に利用した量子ビット数の増大を施す手法の確立を目指している。平成23年度は、基本的な量子ビット分子構造として、3量子ビット系となる2-フルオロ-1,3-ジホスファプロペン骨格の構築法を確立することができ、さらにフッ素原子の効果に由来するデコヒーレンスしにくい緩和特性を見出すことができた。また、タングステンおよび白金を用いるキレート錯体に誘導することによってさらに緩和特性が量子情報処理操作に有利になることを見出すこともできた。そして、このキレート錯体に対して別の対称型P2配位子を導入することで、錯体中のすべてのリン原子を非等価にすることに成功し、さらにフッ素原子がすべてのリン原子とスピン・スピン結合することを見出した。構築した錯体の熱的安定性が低かったために緩和特性の評価には至っていないが、共鳴周波数が異なる核種の状態を効率的に発生させるという、量子ビット数の増大において基本的かつ有効な手法を提案することができたと言える。このようなことから、化学合成を基本とした量子コンピュータ研究への独特のアプローチによって、現在のところ実用的な量子コンピュータに最も近いとされるNMR量子コンピュータの開発に新たな展開を与えうる基礎的な知見が得られていると思われる。
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今後の研究の推進方策 |
本研究では、リン原子の幅広い共鳴周波数領域が量子ビット数を増大させる上で有利と考えられることから、リン原子数を増やすことを分子設計を基本としている。このアプローチによる成果として、配位化学を用いた非対称化によって効率的に量子ビット数を増やすことを示すことができている。しかしながら、分子サイズが大きくなると、緩和時間が短くなってデコヒーレンスしやすい傾向が大きくなることが予想されることから、実用的な量子ビット分子の開発には新しい視点を盛り込む必要があると思われる。 平成23年度の研究成果でも示したように、フッ素原子を導入することは、それだけで量子ビット源として有効であるだけでなく、その小さな原子サイズがデコヒーレンスの抑制にかなり効果的であることがわかっている。また、実際に量子情報処理において重ね合わせ状態を発生させる等のパルス操作を施す場合、リン核への操作はまだ試行錯誤を重ねる必要があるのに対して、フッ素核のパルス操作についてはこれまでに多くの研究例があるために比較的デモンストレーションを行いやすいという利点がある。 そこで今後は、複数個のリン核を有する分子構造を基本としながらも、フッ素核を導入した分子骨格をハイブリッドさせる手法の開拓に着目して検討することにより、実用的なNMR量子コンピュータの実現を目指す研究を加速させたいと考えている。具体的な手法として、まずは非等価なフッ素核を複数個有する鎖状構造を含リン分子骨格に組み合わせることから着手し、リン核とフッ素核を組み合わせた新規な分子構造の特性を明らかにし、さらに配位化学を利用する非対称化を用いた量子ビット数の増大に展開することを試みる。なお、研究費の端数が生じているが、翌年度分として支出済みである。
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次年度の研究費の使用計画 |
平成23年度に引き続いて、速度論的に安定化された2-フルオロ1,3-ジホスファプロペン誘導体を用いたNMR多量子ビット分子のデザインと合成を進める。平成24年度では、フッ素化されたアルキル鎖やアリール基とジホスファプロペン骨格等の含リン分子骨格とハイブリッド化することによって、より高性能のNMR量子ビット分子の設計開発を試みる。検討においては、量子ビット分子としての性能の解析と評価を行う際を考慮して、適度な共鳴周波数差を示すリン核およびフッ素核を適度の数で配置した分子を系統的に合成する。 以上の検討を行うため、合成に必要な試薬・溶媒・不活性ガスを購入する。NMR特性の解析測定に必要となる重水素溶媒を購入する。
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