本研究は、行為の意思作用感(sense of agency)のメカニズムをロボット成論的アプローチにより理解することを目的とした研究である。意思作用感の異常が、人が柔軟で多様な行動を生成するために欠かせない予測運動制御システムの機能的な階層性の異常に関連する、との計算論的モデルを提案し、その妥当性をロボット実験で検証しようとする。提案した計算論的仮説を検証するため、予測運動制御システムの神経回路モデルを作成し、その神経回路モデルがロボットの行動を制御し、実際の物理環境において、物体の位置や行動の順序に応じた複雑なルールに従う認知行動タスクを行わせた。その結果、ロボットが認知行動タスクをこなすためには、機能的な階層性を備えた予測運動制御システムにおけるトップダウン的予測とボトムアップ的修正のスムーズな相互作用が欠かせないことを確かめた。またこの階層間の相互作用のメカニズムは、計算論的には予測エラーの最小化という単一の計算原理によって達成できる ことを確かめた。 さらに、このような階層的な予測運動制御システムにおいて起こりうる異常を、神経回路上のシナプス結合に微細なノイズを加えてシミュレートする実験を行った結果、神経回路におけるシナプス結合の微細な変化が、上位からのトップダウン的感覚予測と下位からのボトムアップ的感覚知覚の相互作用のずれを引きおこし、このずれを修正するための異常なシグナルが結果的に、統合失調症に見られるような意思作用感の異常を生み出すことを示した。さらに、階層間のシナプス結合の変化が重篤になると、統合失調症に見られるものに類似した異常行動のパターンが認められた。 これらの研究結果は、統合失調症の多彩な症状が、階層的な神経回路における機能的断裂に対する不適応プロセス、すなわち誤差最小化のバランスを維持するための代償、として理解できることを示している。
|