研究概要 |
記憶の細胞生物学的な基盤はシナプス応答の可塑的変化にある。シナプス可塑性そのものに関する研究は数多くあるが、実際の記憶に即した研究は少ない。私は本研究において、まずショウジョウバエ(Drosophila melanogaster、以下ハエ)脳を摘出し、この脳において匂い嫌悪学習の細胞生物学的基盤と考えられるシナプス可塑性を観察する系の確立を行った。すなわち、匂い入力と匂い記憶中枢(キノコ体)間シナプスの可塑的変化を、蛍光プローブによるカルシウム応答変化として見出す手法である。この系を用いて、ハエの匂い記憶の基盤となっているシナプス可塑性の生理学的特性を詳細に解析し、その特性を調べ報告した(Ueno et al., 2013 J. Physiol.)。 申請書に記載したようにハエの匂い嫌悪学習においてもほ乳類と同様にドパミンが重要な働きをすると考えられている。そこで、実際にドパミンシグナルがこの可塑的変化を引き起こすのに必要であることを、遺伝学的・薬理学的手法により明らかにした。さらに、匂い関連遺伝子として知られている様々な変異体において、このドパミンによる可塑的変化が顕著に障害されていることを見出した。次いで、光生物学的手法により、キノコ体のどの部位におけるドパミン受容が重要であるのかを見出した。最後に、匂い嫌悪学習時におけるドパミンの放出機構を解析し、神経可塑性におけるドパミン放出はこれまで考えられていた機構とは異なった系により引き起こされていることを見出した。 ドパミンはハエだけでなく、ほ乳類においても報酬学習や記憶に重要な働きをする。さらには、動機付けや注意、歩行活動といった基本的な動物の脳機能、さらにはパーキンソン病や統合失調症、鬱病といった精神疾患にも密接に関連しており、本研究による成果は広くほ乳類やヒトの脳機能解明へ大きな手掛かりを与える。
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