本研究は、九州地方で民俗芸能として行われている女相撲と、専業の女力士による女相撲興行の関係性を文献資料より明らかにしていくことを目的とするものである。 九州における民俗芸能の女相撲のうち、興行女相撲の影響により始められたとされる事例は、長崎市式見のもののみであった。しかし、昭和御大典(1928)時に仮装、余興として女相撲が始められたとする事例が複数あり、これは女相撲興行が盛んに行われていた時期と重なることから、間接的な影響として、女性達が仮装、余興のモチーフとして力士や相撲を選択する土壌を作った可能性を指摘できる。
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