本研究の目的は、ラグビーを事例として、代表選手の身体を通じて「日本人らしさ」が語られ意味づけられるプロセスを分析・提示することにある。具体的には、日本と英国の国際試合をめぐる言説を両国のメディアから収集・比較することによって、ラグビー「母国」と「後進国」のヘゲモニックな関係性のなかで、記号としての「ジャパン」(日本代表)=国民の表象が、どのように生成・構築されてきたのかを明らかにする。 資料収集では、日本および英国を調査地として、日本代表チームがラグビー「母国」イングランドに初挑戦した1971年の試合(花園と秩父宮ラグビー場の二試合)を起点に、70年代、80年に行われた日英国際試合に焦点を当て、両国の新聞雑誌記事・映像メディア資料などを中心に収集をおこなった。 調査の結果、つぎの三点が明らかとなった。①1971年の初対戦を詳細に報じた英国三紙(タイムズ、ガーディアン、デイリーテレグラフ)では、各紙の随行記者ごとに日本代表チームに関する論調・評価に差異がみられたが、日本の新聞はそれらの論評を選択的画一的に引用した。②1973年の英国遠征以降、日本代表チームが大敗を重ねるなかで、英国メディアでは実力差が明らかなテストマッチを行う意味自体が問われるようになり、日本代表に関する表象の多様性が失われ画一化していく。③一方、日本側が英国メディアに発信・提供する情報は、言語的な制約から特定の人物を媒介としたものに限定されると同時に、自己表象のパターン化がみられるようになった。 今後の課題としては、日本代表チームに関する表象の単純化・画一化の要因を、いわゆる「後進国」の立場からの戦略的な自己表象といった視点からより詳細に分析するともに、1990年代以降の言説の変容プロセスについても具体的に読み解いていく必要がある。
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