本研究では、ソーシャルメディアの隆盛と相まって用いられる「つながり」という言葉の含意に着目し、戦後日本社会のなかで、電気技術の発展とともに実現が期待されてきた「つながり」とはいかなるものだったのか、メディア史の視座から考察することを目的としている。最終年度の成果は次のとおりである。 第一に、新しい電気技術をとりまく生産者と消費者のあいだの相互作用、専門家と非専門家のコミュニケーションを、「アマチュア」や「ファン」、「マニア」や「ハッカー」といった人びとが仲立ちし、時には発展の仕方を主体的に方向づけてきたことに着目した。こうした先端ユーザのあいだで、マスメディアともパーソナルメディアとも機能的に異なる、「つながり」の欲望がいかに育まれていったのかを考察した。その成果の一部は、「誰のための技術史?―アマチュアリズムの行方」飯田豊編『メディア技術史 ―デジタル社会の系譜と行方』(2013年)にまとめた。また、とくに日本のテレビジョン技術をめぐるアマチュア文化の興亡に焦点をあて、「趣味のテレビジョン ―日本の初期テレビジョンをめぐるアマチュア文化の興亡」『現代風俗学研究』(15号、2014年)、“The Genealogy of ‘Early Tele-vision’ in Japan: For Relativization of Broadcasting History”『韓国社会学研究』(5号、2014年)などにまとめた。 第二に、東日本大震災の発生とその後の経過を踏まえ、「つながり」という言葉の含意、そしてソーシャルメディアをとりまく状況がどのように変わったのか、経過を追跡した。その成果の一部を、2013年10月、ライプツィヒ大学で開かれた“Media Culture InterTalk: The New Paradigm in Media Action in Japan”において、“From Banpaku to NICONICO Cho-Kaigi: The Transformation of Media Events in Japan”という演題で報告した。
|