本研究では、わが国において各時代にどのような系統の馬が飼育されていたのかについて、遺跡出土馬歯の形状解析により検討した。調査は在来馬の現生標本による本手法の有効性の確認より始め、東日本の古代~中世遺跡を中心に一部西日本の古代標本や韓国、モンゴル遺跡出土標本についておこなった。最終年度には新たにランドマーク法を用いた比較もおこなった。 輪郭形状解析の結果、東北地方と中部地方の差が古代には小さいのに対し、中世になると地域性が顕在化していくことが明らかになった。以上は古代以降に発展する東北地方北部の馬産が北方経由でもたらされたとの説には合致せず、むしろ中部地方を含む古代日本由来との説により調和的である。 ランドマーク法でも日本列島の古墳時代から中世の馬歯はいずれの地域においても古代は多様性が低いのに対し、中世になると変異が大きくなることが確認できた。韓国の古代遺跡との比較では南岸の伽耶地域出土の標本が日本の古代にもっとも近く、馬具型式から推測される馬産文化の系譜と整合的である。百済に相当する東南部の遺跡出土のものは形状が異なり、日本の中世に近かった。これは日本列島に導入された初期の馬の系統を考える上で示唆的である。 モンゴルの遺跡では匈奴時代の馬歯形状が日本の古代に近いのに対し、中世では日本同様に変異が大きくなる傾向が確認できた。以上により、古代の日本列島にはモンゴルを起源とし、朝鮮半島を経由した限られた系統のウマが導入されたものの、中世までにはより多様な馬が導入されたとの推測も成り立つ。また、起源地であるモンゴル周辺でも中世までに他地域との交流により、より多様な馬が導入されたと考えられる。 本手法によりこれまで不明だった過去の馬の系統関係を解明できる可能性が高まった。今後はさらに標本の対象地域、時代を増やすと共に古DNA分析の結果とも比較検討していく必要がある。
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