最終年度にあたり、研究成果の一部を4月に日本ナイルエチオピア学会学術大会において発表した。8月にはエリトリア、エチオピアにおいて最終的な史料渉猟を実施した。本科研終了後、エリトリアにおける史料参照が制限される可能性もあるため集中的な史料渉猟を行った。エチオピアにおいては国立公文書館のカタログがようやく整備され、史料利用の環境が整った。エリトリアの史料と突き合わせる形で史料を検討、収集した。秋以降は最終年度のとりまとめに向け、新たに渉猟した史料を含めて研究を進め、その成果を11月にアメリカ・アフリカ学会において研究発表を行った。イタリア侵略時に植民地兵としてエチオピアに流入したエリトリア人の一部が、戦後もエチオピアに残留し、その後のエチオピア政府のエリトリア併合政策に動員される過程を明らかにした。在アメリカのエチオピア、エリトリア研究者と議論も深めることができた。またアメリカ国立公文書館においてエチオピア、エリトリアに関する外交史料の渉猟も行った。エリトリアにおける連邦制国家の在り方を規定するエチオピアの政策、ならびに北東アフリカに浸透していくアメリカの影響を分析するために不可欠な史料渉猟を実施した。年度末にかけて、またそれ以降もエリトリア、エチオピア、イギリス、アメリカで渉猟した史料の突合せ、ならびに研究成果を論文としてまとめている。10年という短命に終わったエチオピア・エリトリア連邦制の下におけるエリトリア自治政府についてはエチオピア政府による妨害にばかり関心が寄せられてきたが、一連の政治工作の下でエリトリアにおける国家建設のプロセスが一定程度進み、議会を中心に活発な議論が特に50年代半ばまで実施されていたことが明らかになった。本研究課題により今後、アフリカや他地域の脱植民地化との比較研究を視野にさらに研究を広げる基盤が整った。
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