本年度の前半には、情動・感情の認知的役割についての前年度の発表を論文としてまとめた。基本的な論旨は前年度の実績報告書に記載したとおりだが、論文化の過程であらたに次のことが明らかになった。すなわち、情動の認知的役割についてのベルクソンの扱いは、「実在するあらゆる対象は経験可能である」という方針のもとにあらゆる経験を資料として用いるという、彼独自の経験論・方法論に由来するものであり、この経験論・方法論は中期の『笑い』においても(少なくとも萌芽形態において)用いられているということである。他方で、ベルクソン哲学における「世界に対する神の内在/超越」が明らかにすべき課題としてあらたに浮上したが、これは本科研との関連が浅いため、来年度以降の検討課題とした。 年度の後半には、これまでの成果を踏まえつつ、前年度の資料調査において明らかになった課題に取り組んだ。すなわち、ベルクソン哲学全体を視野に入れた上でのベルクソンの定義論の検討、ならびにそのなかでの『笑い』の定義論の位置づけである。ここでは、「可笑しさの定義の難しさ」、ひいては「生命事象の定義の難しさ」という、ベルクソン固有の主張とみなされていたことが、実際には多くの論者・哲学者たちに共有されていた見解であること、また、そのなかでのベルクソンの独自性は、その難しさに対して彼の生命論にもとづく存在論的な説明を与えている点にあるということ、が明らかとなった。 扱うべき文献の広がりや、主題自体の複雑さゆえ、1900年前後のフランスにおいて多様な分野でなされた「笑い」についての議論の全体像を明らかにすることはできなかった。だが、それら多様な分野の合流点にいたベルクソンについて、「笑い」についての議論の内実、ならびに「笑い」をめぐる基礎的概念や方法論を明らかにできた点で、十分な成果を挙げたと言える。
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