24年度は臨壇三師について分析を加え、道仏交渉の側面から考察を進めた。研究内容は以下の通りである 。 ①仏教における経師:仏教において経師は、一般的に三蔵(経律論)に対応する経師・律師・論師の中の「経師」を指すが、梁・僧祐の『高僧伝』巻十三の「経師」は「美声をもって経典を転読する僧侶」や「梵唄に長けたもの」を意味する。このような経師の位置づけを道教の誦経と照らし合わせ、経典の誦読が流行した六朝宗教文化に対する知見を得た。 ②道教の伝経儀式における臨壇三師:道教の経典伝授の際に壇上に登る三師、すなわち度師・監度・保挙を、仏教の受戒儀式と比較検討した。臨壇三師は仏教受戒の三師(和尚・阿闍梨・教師)と対応関係はあるものの、道教経典に渊源を置く。「保挙」は内伝(仙人の伝記)において仙人となる人物を「保証する神仙」を意味し、それはまた六朝期の官僚推薦制度における「薦挙の保証人」を取り入れたもの、「監度」は上清・霊宝諸経において道教修行者を監察する神仙・真人に由来するものであることを明らかにした。臨壇三師の名は伝経の証人として経典と共に伝授され、道蔵の諸経巻末に「保挙/監度/度師」とあるのはそのなごりであることが判明した。 ③道仏交渉史からみる宗教文化:六朝以来仏教と道教の間に共通する現象を、受戒・伝経を中心に考察した。仏道の両教において、5世紀から7世紀の間は寺院・道観の様々の制度が定められる時期である。仏教の場合、受戒に和尚・戒師・教師の三師を立てた実例は、405年「十誦律比丘戒本徳祐題記」(S797)に確認され、劉宋以降戒壇の形式が定められる唐・道宣の『戒壇図経』に至るまで、戒壇関連の記録に「臨壇大徳」の語が散見される。一方、道教の臨壇三師は、劉宋の陸修静によって定められ 、771年金仙・玉真公主の受度に「臨壇大徳証法三師」が立てられたこと、宋皇后の伝経記録に三師の実名が確認される。
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