ベルリン・ブランデンブルク科学アカデミー・トルファン研究所に所蔵されるウイグル語仏典写本にLehrtextとして分類される一連の写本群がある。これまではその一部が紹介されるに留まっていたものである。本研究代表者は、2011年と2012年の両度にわたりアカデミーを訪問し、対象となる写本の全てを精査することができた。写本の状態は決して良好とは言えないが、18章、19章、20章、21章、22章そして第30章を断片的に保存していることが判明し、ほとんどの断片について位置関係を特定することに成功した。これにより、本資料の内容は『成唯識論』の構成に忠実に従いつつ、複数の経論(八十巻本華厳経、成唯識論述記、大乗入道次第、観弥勒菩薩上生兜率天経賛など)を引用し、解説を加えたウイグル独自の唯識文献であることを明らかにすることができた。特に注目されるのは第30章として玄奘伝が付される点である。これは「慈恩伝」や「大唐西域記」と一致しない内容を伝えており、ウイグル仏教における玄奘観を伝える貴重な資料となっている。本資料は、法相宗唯識文献の集成の観を呈しているといえよう。 全体として4000行をこえる復元テキストを作成し、それに対する和訳、注釈、グロッサリー、綴合する写本の図版を作成した。これらはウイグル文唯識文献の基礎となるものである。例えば、他のウイグル語仏教文献に表れる術語、翻訳方法と詳細に検討することによって、ウイグル仏教社会における宗派、翻訳グループの存在の有無を確認するための基礎データを提供することができるであろう。
|