【1 仏教界における学歴の浸透】明治20年代以降になると、伝統仏教教団を背景として設置された学校(=宗門系学校)は、自教団の教育制度が整っていく中で整備されていく。それとともに、それら宗門系学校は国家の教育制度に自ら進んで組み込まれていった。興味深いのは、その過程において「学階」という僧侶身分が宗門系学校卒業者に付与されていく実態が明らかになったことである。近世のような檀林や学寮といった世俗世界とは断絶した空間ではなく、国家の教育制度の上で認定された宗門系学校を卒業することが僧侶社会においても重要視されるようになっていったのであった。【2 伝統教学と普通学の相克】高等教育機関化を目指す宗門系学校においては、自宗教の教義を伝授・教育するのではなく、学問対象としての自宗教に関する研究法や研究成果を教授する空間と変質していく。しかし、宗門系大学を経営する伝統仏教教団側は、宗侶養成機関としての役割を宗門系大学に期待していたのであり、伝統的な僧侶の再生産を求めていた。この両者の相克は、如実に学課課程(カリキュラム)に表出していた。伝統教学と近代的な学問(普通学)の相克が明治30年代頃より見られるようになっていくのであった。【3 国家による仏教系学校への優遇】明治32年の文部省訓令12号(宗教教育・宗教儀礼の禁止)は、キリスト教系学校に大きな衝撃を与え、特に中等以上の男子学校はそれへの対応に多大な労苦が割かれていたことは従来の研究通りである。しかし、本研究で同時期の宗門系諸学校の動向調査をしてみると、特に大きな混乱もなく、訓令12号を対岸の火事として受け止めていたことが明らかになった。また、当時の学校の重要関心事であった徴兵猶予特典に関しても仏教系諸学校の方が先行して猶予認定を受けていたことが明らかになった。
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