本研究は、江戸時代中期において、室町時代の水墨画がどのように理解されていたのかについて、作画上の具体的な問題として、これを解明しようとするものである。これまで、江戸時代に行なわれた文人画における明清絵画の影響は、さまざまな形で語られてきたが、実は日本の文人画家たちが一見、否定していたかのようにも見える室町時代の水墨画も、その作画において一規範と成り得ていた。本研究は、これを江戸時代の文人画を代表する画家で、江戸時代中期、18世紀の京都で活躍した画家、池大雅(1723-1776)の作品を中心に考察しようとするものである。研究最終年度の平成24(2012)年度は、前年度に引き続き、室町水墨画との関連が見受けられる池大雅作品の調査、また室町水墨画の調査、江戸時代の版本に見られる室町水墨画の調査を実施し、大雅作品における室町水墨画の果たした役割、位置について検証を行なった。大雅の室町水墨画受容の背景には、黄檗山萬福寺、臨済宗の白隠慧鶴(1685-1768)、大典顕常(1719-1801)との関わりが知られるように、室町時代と江戸時代、室町水墨画と大雅を結ぶ禅宗と禅宗寺院が大きな役割を果たしており、とりわけ白隠およびその門下の関連寺院や、近年まとまった報告がなされている白隠の禅画との関わりなど、解明されるべき課題がいくつか残されているといえる。本研究は、大雅と同時代のいわゆる漢画系諸派(雲谷派など)の動向も視野に入れながら、江戸時代における室町水墨画の意味を問い直すことで、日本近世絵画史における中国の影響を立体的に考察しようとするものである。研究成果が、様々な文化史研究の視点にも寄与することができれば幸いである。
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