本研究は東京国立博物館 が所蔵する木挽町(こびきちょう)狩野家関連の資料のうち、寺社の宝物を写した比較的質の高い模本の基礎的調査を実施し、江戸時代後期に幕府奥絵師として活躍した木挽町狩野家八代目当主・晴川院養信(せいせんいんおさのぶ)の活動を明確にすることを目的に実施した。 最終年度は前年度に引き続き、膨大な木挽町狩野家関連の資料から寺社宝物の模本を選別するため、作品目録なども利用しつつ個々の資料にあたって墨書等を確認し、該当すると判別されたものについては基礎的データの収集をした。加えて、中でも重要と思われる資料はデジタル画像の撮影をした。 調査の結果、寺社宝物の模本が制作される契機として、鑑定、旅、寺社からの直接的な借用、そのほか特別な機会を活用して模写していたことが、資料の側から改めて判明した。またこの成果として、以前より養信自筆の「公用日記」や一部の模本から指摘されていた天保十一年および同十四年の寺社宝物の模写活動について、それぞれまとまった数の模本を確認できた。特に天保十四年は養信自身が一ヶ月余の熱海湯治の往還で制作した、興味深い模本である。そこで模本から得た情報と併せ、「公用日記」の同年の記事を通読し関連記事について翻刻を行なったところ、熱海における三週間の湯治の前後に、ある程度時間に余裕を持ちながら門人数名を連れて鎌倉や三島に足を伸ばし、現在の国宝・重要文化財に相当する各地の寺社の宝物を模写したことが明らかになった。 さらに今回調査した模本の制作者については、現在ほとんど知られていない人物名が多く収集できたため、先行研究を踏まえながら制作者の一覧をデータベースとして公開し、彼ら一人一人がどの模本制作に携わったか明示するとともに、模本のデジタル画像も確認できるようにした。江戸時代後期の狩野派研究をはじめ、多様な研究につながる興味深い実例を提示できたと考える。
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