本研究はリストと彼の弟子や取り巻きたちが中心となって1854年に結成した「新ヴァイマル協会」(以下NWV)の実態を解明したうえで、1850年代に流通した呼び名、未来音楽の代替として1859年に提唱された新ドイツ派との比較検証を行った。初年度は新ドイツ派が提唱当時のリスト=ヴァーグナー=ベルリオーズの3人組ではなく、リスト一派と認識されるようになっていった過程を明確にし、最終年度はNWVの活動実体の調査に基づき、新ドイツ派との関係を考察した。先行研究は両者の直接的つながりを度々指摘してきた。しかし本研究は少なくとも以下3つの観点において、両集団は同一視されるべきではないと結論付けるに至った。 まず両集団はそれぞれが見据える方向性や視点において極めて対照的な性質である。汎ヨーロッパ的一派として提唱された新ドイツ派はコスモポリタンな活動を展開した一派だったのに対し、NWVはあくまでヴァイマル在住者による地元志向の集まりで、芸術愛好家たちにも開かれたヴァイマル新住民のための社交クラブと化していた。 そして新ドイツ派提唱とNWVの集会開催頻度の著しい減退の時期的な一致については、完全な偶然と説明されうる。集会の凍結は新ドイツ派の提唱ではなく、その月の23日に同地の文化振興に大きな役割を果たしてきた大公妃が亡くなり、その後3ヶ月間はあらゆる行事が自粛されたことと関係があった。 さらにはNWV設立時のメンバーと新ドイツ派の関係者は確かに多くが重複していたが、NWVの会員の出入りは驚くほど目まぐるしく、50年代後半にはリスト周辺の主要な音楽関係者の多くが脱退していたことが明らかとなった。 リスト一派として汎ヨーロッパ的活動を展開させていった新ドイツ派とは異なり、NWVは「芸術家と芸術愛好家たちによる団体」として、ヴァイマルの社交界に存在した一時的な文化現象のようなものだったのである。
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