本研究では、日中戦争前期(1937-41年)に発表された文学的言説上の中国表象を、複数の作品やトピックを軸として多角的に検討した。そのことによって、当時の日本人の中国認識・表象、中国表象の特徴やその受容の様相を明らかにした。それらを総合し、5年分の文学的言説を包括的に比較・検討し、当時中国を表象する際にどのような規則が作動していたかも明らかにし、近代日中関係史を再考する具体的な契機ともした。 本研究課題では、研究計画に即して、日中戦争前期(1937-1940前後)を調査検討時期として、設定した資料体(コーパス)における〈中国〉表象を含む文学的言説の調査・研究に取り組んだ。具体的には、日中戦争に関する多ジャンルの文学的言説に焦点を絞り、文学者が中国に行った際の報告文学(ルポルタージュ)とその受容、文学テクストに書きこまれた(直接的・間接的な)日中戦争の表象とその受容、そして、中国人が描いた日中戦争表象などを検討対象とした。 これまで、〈中国〉を表象した文学的言説として、尾崎士郎『悲風千里』(1937)、小田嶽夫「泥河」(1937)、田中英光「鍋鶴」(1939)、太宰治「鴎」(1940)などをとりあげて、モチーフとしての中国の切り取り方、表現や受容の特徴を分析してきた。 また、最終年度には、岸田國士『北支物情』・『従軍五十日』(1938)や川端康成「高原」(1937-39)、さらには林語堂『北京好日』(1940)の日本での翻訳状況および中国理解への方向について、昭和10年代における文学場の変容を考慮しながら、戦争・戦場を後景にしながら日本(人・語)をクローズアップしていくという、〈中国〉表象の特徴を明らかにした。
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