和歌を含んだ説話は、元来、説話集の編纂において大きな位置を占めており、各説話集が少なからぬ和歌説話がそれぞれの編纂方針に従って取り込まれている。さらに『古事談』成立時はその約十年前に勅撰和歌集である『新古今和歌集』の成立という画期があり、文芸としての和歌は未曽有の興隆を迎える時代状況が存在した。その時代状況が『古事談』の編纂にいかなる影響を及ぼしているのか、『古事談』における和歌説話を、特に歌徳という視座から分析を行った。 『古事談』は和歌を持って巻を閉じる巻を有するが、和歌を以て作品を閉じるときは、和歌の予祝性を利用し、語り終えられたその先を寿ぐかたちで閉じられるのが凡そであるのに対し、『古事談』は意図的に予定調和を崩す和歌を配している。また、詠まれた和歌の内容が無化されるが如き説話配列を採用したり、他の作品に収録される同話と比較すると、一話の構成を変えることで、同じく和歌を無化したりするなどの、編纂方法が顕著に認められることを指摘した。 一見、和歌という表現形式へのアンチテーゼに見えるが、これは『古事談』が和歌という表現形式そのものを嫌ったと捉えるのは早計である。『古事談』は和歌が社会的文脈において持たされた政治性や人為(歌徳)を嫌ったのであり、真率な心情を吐露する表現形式としての和歌を嫌ったわけではないことを、一条天皇崩御にまつわる和歌説話に照らして明らかにした。 以上が研究成果の概要であるが、具体的論証の内容は論文に譲りたい。但し、予想以上に成稿に難渋したため、現時点では掲載誌未定の状態であるが、審査の付いた学術誌への掲載を目指すものである。
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