横光利一の小説『上海』で描かれた「上海表象」は、当時横光の文学理論の理論的支柱であった、新カント派の哲学によって表象可能だったことが、研究によって明らかになった。横光は、当時からあった「魔都」などの先入観を留保して、「上海」という都市構造そのものに注目していたのである。 この構造こそ、「上海」が多国籍の国民・民族を受け入れる、横光の言葉でいえば「共同の論理」だったといえる。この「共同の論理」こそ、「上海」が多国籍の国民・民族を争わせながらも、ともに共存させるような「上海」のネットワークを構築していた。このネットワークはもちろん、人間だけの問題ではなく、経済の問題でもあった。複数の異なる人間たちのネットワーク同士を結び付ける、経済のネットワークもまた、横光にとっては「共同の論理」を構成していたのだ。 この「上海」を構成する「共同の論理」という考えは、新カント派の哲学なしには、考えられなかったのである。なぜならば、横光が依拠した、カッシーラーやリッケルトといった新カント派の哲学者たちは、まさしく多様性の中に「個性」や「価値」を実現するような理論を構築していたからである。つまり、多様性の中で消滅したり全体に還元されないような、「個性」や「価値」を、新カント派は重視したのである。調査によって、新カント派が、横光の『上海』に登場する「共同の論理」と相即することがわかった。 以上のように本研究は、横光の文学理論の支柱である、新カント派の哲学と「上海表象」の関係を明らかにすることができた。小説『上海』を執筆していた当時の横光の文芸批評と、当時の新カント派の哲学が掲載されている、雑誌『哲学研究』、『理想』、『思想』などの分析を踏まえ、小説『上海』を分析することで、小説『上海』の新しい解釈が可能になったといえるだろう。そしてこの新たな解釈は、現代の「上海」の理解に資すると考える。
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