釈教歌を広く分析し、その文体の特色を明らかにした。釈教歌には、それが盛行しはじめる平安時代中期から、釈教歌には二つの文体があった。一つは、漢訳仏典を和語に翻訳して詠むことで、もう一つは漢語による仏教語をそのまま詠み込むことである。釈教歌におけるこれら二つの文体を分析し、和語の使用を原則とする和歌が仏教語を許容したのは、当時の和歌が翻訳不可能な仏教語の力を必要としたためであった。その成果を論文「釈教歌の方法と文体」(『日本文学』2014年7月号、21~34頁)として発表した。 また、中世後期の勅撰集における釈教歌を分析するなかで、後宇多院の下命で編纂された二つの勅撰集『新後撰和歌集』と『続千載和歌集』が他の勅撰集に比べて密教経典に基づく釈教歌が際立っていることを見いだした。これらこれら二集の釈教部における傾向を分析した結果、それらが後宇多院の宗教政策を反映していることが明らかになった。その成果を論文「中世後期勅撰集の釈教歌―『新後撰和歌集』『続千載和歌集』の宗教性と政治性―」(『国語と国文学』2015年5月号)として発表した。 勅撰和歌集における釈教部の分析を通して、和歌における宗教性と政治性を考えるためには釈教部のみならず、神祇部、つまり神にかかわる歌を合わせて検討することが重要であると気づかされた。今後は仏教だけでなく神に関わる和歌も視野に入れて研究を続ける予定である。
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