最終年度に当たる本年には、本研究のまとめとなる論考を執筆した。「小説の機能」というタイトルで『群像』に連載された論文がそれに当たる。そこでは、イギリス18世紀の小説における作者と登場人物と読者の関係性に新たな考察が加えられている。具体的には、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』およびリチャードソン『パミラ』を分析し、『ロビンソン・クルーソー』では主人公の背後に作者デフォーが暗示され、読者と作品世界とのつながりを媒介する装置となっていること、『ガリヴァー旅行記』でも類似した工夫が見られるが、そこではむしろ読者をとりまく現実の根拠を奪い、世界の荒唐無稽な有様へと読者の意識を覚醒させることが目論まれていること、さらに『パミラ』では、ヒロインへの他のキャラクターの様々な欲望を読者が共有するような工夫により、作者の身体が見えなくなる一方で、読者と作品世界とが媒介なしにつながっているという錯覚を与えるようになったことが示された。ここまでの内容は、本研究の課題である「作者の身体表象」が、近代小説の先駆とされる18世紀イギリス小説において、当初は重要な機能を果たしたものの、次第に忘却されたという私の仮説への具体的な証拠となる。現在、スターン『トリストラム・シャンディ』の読解を通じて、作品内部から身体を削除された作者が、どのように作品に介入できるのかを考察しているが、年度内に成果を発表するまでには至らなかった。 他方、「名誉革命とフィクションの言説空間――デフォー作品における神意の事後性」という論考を発表し(『名誉革命とイギリス文学』所収)、デフォーのフィクションが当時の社会における現実といかに対応していたかを検証した。これもまた、18世紀小説を純然たるフィクションではなく、特異な現実表現として読もうとする点で、本研究のテーマに沿った論考である。
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