1960年代の文学批評・政治的言説の読解により分かるのは、その支配的な文化のパターンが「社会からの逃亡」という形態をとることである。その一方で、この文化のパターンへの応答を、レイモンド・ウィリアムズのライティングに見出すことも可能であって、社会的なアクションには社会からの逃亡を含め、それに対するアクションが必ず生じるのだが、そうした組織化(organisation)のリソースは、例えば風景といった「物理的自然」に求められ、かつ、その組織化のイメージは場所に固有のものとなる。彼の言葉づかいに従えば、これは感情の構造であり、その限りにおいてイデオロギー的な(歪みをともなった)ものである。
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